生きる智恵は
どこへ向かっていくのだろう?

 「私の文章は、実は、私が書いているのではない。上のほうから何か…、たとえて言えば“電波のようなもの”が降りてきて、それを言葉に翻訳しているだけなのだ」ということを、複数の物書きと呼ばれる人が語っている。優れた物書きは、高機能の受信装置を心の中にもっていて“電波のようなもの”を受け止め、知識や経験というフィルターを通して頭の中の翻訳機に入れ、言葉として書き記しているのだ。
 おそらくどの職業においても、これは共通ではないだろうか。どんな仕事にも工夫の余地はあるもので、そこには智恵が不可欠である。この智恵の正体こそが“電波のようなもの”ではないだろうか。智恵は誰にも等しく降ってきていると思う。それをきちんと受け止めることができれば、問題は解決していくものだ。ただ、私も含め、多くの人は天から降ってくる智恵をうまく受け止めることができない。知識や経験は年齢を重ねれば自然と蓄積していくものだが、智恵を受信する機能を高めることは容易ではない。受信機能を高めるために人間にできることは、真摯に自分と向き合い、祈るが如く一心に目の前の仕事に集中するだけだ。これは修業であり、修行でもある。どの道でも修業は楽ではないが、修行者は智恵の受信機能が確実に高まっていく。同時に、修行者は修行を通じて社会における自分の役割を知り、自らの生存の目的を知ることになる。智恵は自らを幸福にするために天からもたらされ、やがて子や孫、そのときどきの社会へと向かっていくのだろう。

文 : 一丸幹雄 (コピーライター)

*文殊仙寺の御本尊、文殊菩薩は“智恵の母”として古くから親しまれている仏さまです。