比叡山延暦寺第十八第天台座主慈恵大僧正良源は疫病・飢饉の際に不眠不休で修法し魔を沈め、 御鏡に現れた姿が鬼の形をしていたところから魔除け・厄除けの御大師様として信仰されてまいりました。 御命日(一月三日)にちなみ「元三大師」と呼ばれ今日まで親しまれております。 慈恵大師良源は『おみくじの元祖』とも言われています。 それは良源自身が生前おみくじを広めたり使ったりしたのではなく、 慈恵大師良源の死後六百年以上の後、徳川家康の側近だった天海大僧正は 元三大師(良源)を大変尊敬しており、ある日17日間の請願を立てて祈ったところ、満願の日の夢に元三大師が現れ 「戸隠神社の社殿に観音の百籤を隠しておいたので、これを取り出して吉凶を占えば、その願いに応じて禍福を知らせよう。」 と述べたといい、夢のお告げの通り戸隠神社の社殿を探ると、百枚の籤(くじ)が出てきました。
世間に疫病が流行っていると知った慈恵大師良源は、疫病から人々を救うため 自ら疫病神を追い払う恐ろしい鬼の姿になり、その姿を弟子のひとりに描き写させました。 弟子たちはその絵を版木に彫り、お札に刷って配り、人々がそのお札を戸口に貼り付けたところ、 その家の者たちは一人も疫病にかからなかったといわれています。それ以来、 人々は毎年このお札を新しいものを求めては戸口に貼るようになり、 今でも「角大師」と呼ばれるそのお札を求める人が後を絶ちません。
ある日宮中の桜を見ていた慈恵大師良源は、同じく花見をしていた宮中の女官たちとばったり出会い、 憧れの良源に女官たちは大喜びでした。慈恵大師良源は 「今日は本当に良い花見をさせていただきました。そのお礼に私も一つ得意の百面相をお目にかけましょう。」 といい、顔を伏せるよう言いました。 合図とともに女官たちが顔をあげると、そこには恐ろしい鬼の姿になった良源の姿があり、 女官たちは震え上がり、その場に打ち伏せてしまいました。 その姿は『厄除けのお大師様(鬼大師)』といわれ、家の玄関口に鬼大師のお札を貼ると 家内から福が逃げないと言われております。